オフィス★イサナ
対談ヤネン。
第1回 高林陽一監督 高林陽一監督プロフィール
  • (1)7月1日公開
  • (2)7月4日公開
  • (3)7月7日公開
  • (4)7月11日公開
1

2008年5月15日(木)
京都市の高林陽一邸で。

僕は高校を卒業してすぐに映画の専門学校に入学しました。
当時、映画はすでに斜陽と言われて久しく、
自分で映画を撮るしかない、という時代でした。
大森一樹、石井聰亙、森田芳光と言った若い監督たちが、
自主映画の世界から商業映画の世界へ飛び込んで評価を受けていました。
だから、当時の映画学生はみんな撮影所で働こうという気持ちはなく、
自分で撮って売り込まないとダメだ、と考えていたのではないでしょうか。

そんな僕たちにとって、自主映画出身の商業監督として神様のような存在だったのが、
大林宣彦、高林陽一の両監督でした。

中でも、僕が通っていた映画学校の講師をされていたのが高林陽一監督。
1988年、高林陽一監督は『魂遊び ほうこう』という作品を完成。
僕はその作品に助監督として参加していたのですが、
完成と同時に、映画の世界を離れ、広告の仕事を始めました。

正直、すぐにでも映画の世界に戻るつもりだったのですが、
広告の世界での仕事が忙しくなり、
だんだん映画の世界との距離が開いていき、
結局、20年の間、高林監督とも一度もお会いすることなく過ごしてしまいました。

その間、高林監督は、2003年の『愛なくして』まで、
16年間も作品を撮ることなく過ごされたのです。

『愛なくして』 2003年

「あの映画で全てを出し切ったから、もう映画は辞めた」と
映画を辞めてしまった高林監督でしたが、
一人の役者の熱意で映画制作を再開しました。
最近では、年に1本のペースで、
プライベートなデジタルビデオの自主制作映画を制作。
規模は小さいですが、劇場公開も果たし、
映画大陸への復帰を果たしておられます。

そんな高林監督が新作を制作している、ということで、
京都のご自宅でお話しを聞きました。

植松
最近どうですか?物忘れとか(笑)
高林
「あのあのあの…」言うてな。「あの役者が〜」言うてな。思い出されへんことが多いわ(笑)。
植松
そうですか(笑)。
高林
歳はとりたくないわな(笑)。
植松
監督、今度のタイトルは?
高林
もう一人の女。京都清滝にて。
植松
清滝にて、と。
高林
ほんまは、「清滝にて」にしてたんだけどね。他にも同じ地名があるんだよ。
植松
ほんまですか。
高林
ほやから京都をつけたけどね。
植松
だいぶ、寂れてるらしいですね。
高林
なんもあらへんで、清滝。
植松
でっかい、旅館があったりしましたけどね。
高林
あんなん、もうあらへんで。
植松
そうですか。
高林
ハイカーとかね。愛宕神社への参拝行く人とかそのていどやね。
植松
涼みに行くひとはいなんでしょうね。
高林
おらへんおらへん
植松
トンネルこわかったですけどね。
高林
ロケハン行ってもお茶のむとこもないわ。 この映画の台詞にもあるんやけども、観光客は、嵐山と嵯峨野止まりで、清滝まで足をのばさんいうてな。 いま、若い人は自然だけではいかんのやね。人工的なきらびやかなもんがないとね。
植松
いかんでしょうね。 しかも、あそこって、不便ですよねえ。車で直接いけないとねえ。
高林
ほうやねん。バスしかないしなあ。
植松
それはさびれますよねえ。 あれ、山なんでしたっけ。
高林
愛宕山、愛宕山
植松
落語に出てくる「かわらけなげ」とかやってないんですか。
高林
そんなもん、あるかいな。 いま、京都案内みたいなガイドブックにも、清滝のってないからね。
植松
そうですね。
高林
赤い橋があるだけやからねえ。
植松
監督は京都のどこの生まれでしたっけ。
高林
京都や。
植松
いやいや、京都のどこですか?
高林
京都。
植松
京都のどこですかって(笑)。
高林
西陣や。
植松
西陣から清滝に涼みに行ったりしたんですか?
高林
昔は行ったねえ。 僕がほんまに子供の頃はねえ。 清滝まで電車があったんよ。嵐山からね。 それで、清滝から愛宕山の山頂までケーブルカーがあったんよ。 それが戦争中に撤廃されてね。
植松
それから寂れだしたんですね。
高林
不便になったら、だれもいかんな。 電車やらがあったころは、夏場は涼みに行ったねえ。 川で泳いだりしてな。 よう連れてってもろたなあ。
植松
監督のお父さんは西陣の帯屋さんでしょ。
高林
そうそう。
植松
その頃の帯屋さんって、えらい儲かったんでしょうねえ。
高林
儲かったこともあったんだろうねえ(笑)。
植松
監督、ええしの子じゃないですか。
高林
ええしかねえ。悪いしやで〜。
植松
(笑)けど、映画撮ったりとかって、それなりにないとできませんよ。 やっぱり子供のころから映画好きやったんですか?
高林
映画は好きやったねえ。よう親の目盗んで見に行ってたなあ。
植松
高林監督の映画を見て、子供のころどんな映画をみてはったか、想像しにくいですよねえ。
高林
ほやなあ。あの頃は、「エノケンの孫悟空」だとかねえ、ろっぱとかねえ、あとは、長谷川一夫の「雪乃丞変化」とかなあ。印象に残ってるわなあ。
植松
映画は娯楽の王道やったんですもんね。
高林
清滝と一緒で映画もさびれたな。
植松
やまほどつくってますけどね。
高林
劇場もぎょうさんあるけど、入ってないやろ。
植松
みんな家で見てますからねえ。DVDとかでね。
高林
このフェリーニの映画とかも、手軽にDVDで見れるもんなあ。
植松
監督、フェリーニ好きですよねえ。
高林
ジュリエッタ・マシーナが出てる「道」とか「夜」とか「81/2」とか「フェリーニのローマ」とかな。
植松
僕も「ローマ」好きなんですよ。 ドキュメンタリーでも、ドラマでもないし。 映画制作の映画なのに、ゴダールみたいに内証的にならないですよねえ。 外にどーんと出ていく感じ。
高林
裏話的にならないよね。
植松
昔、奥さんがおられるときに、監督に僕が聞いたことがあるんですよ。「ゴダール好きですか?」って聞いたら、監督より奥さんが先に「ゴダール小さいからイヤ」言うてはりましたわ。
高林
はっはっはっは。ほうか。そんなん言うてた?
植松
言うてました(笑)。
高林
当時はゴダールよりトリュフォーとかアントニオーニの映画の方が好きやったなあ。根暗やけどもね。好きやったなあ。
植松
確かに根暗やなあ。
高林
うん。「勝手にしやがれ」とか見てると、やっぱりすごい作家やなあ、とは思うたけれどもね。
植松
ゴダールの若い頃の映画は、青いところが出てきて、面白かったですけどね。
高林
学生映画みたいな、よさがあったね。 やっぱり、あれやろね。アンチハリウッドなんやろね。反逆みたいなね。そういうところから発想するんだろうねえ。
植松
大林さんは「ハリウッド映画」がお好きなんですかね。
高林
ハリウッドと言うよりもアメリカ映画の系譜というか、そういうものが彼の体の中にあるんだろうね。
植松
大林さんと高林監督って、全然タイプが違うじゃないですか。そやのに、えらい仲がようて、どんな話してるんか想像つかないんですよねえ。
高林
ほうか。普通の話してるねんけどなあ。
植松
(笑)普通の話。